母を亡くして③・自宅での看取り・ACP

新緑の5月中旬。

母はついに、病院の先生に言われてしまった。

「今は  もう出来る治療がありません」と。

その言葉を、母はどう受け取ったのかはわからないけど…。

いつも強かった母は、初めて弱い口調で私に言った。

「出来る治療が無いんだって…。家に帰りたい…」と。

私は  溢れ出る涙をこらえる事が出来なかった。

元々私は、母は自宅で看取りたいと想っていた。

私は「わかった。私が先生に話をつけてあげる」と返事をし、先生を説得した。

先生は、母を心配し  「せめてもう少し、ご飯が食べられる様になるまで。せめてもう少し  水分が採れる様になるまで」と答えた。

でも  そんな事を言っていたら、もう母は  家には帰れない。渋々  先生に納得して頂き、母の退院許可を頂いた。

次は家族に話を。

主人と子供に、母が亡くなるその日まで…。

両親と一緒に暮らして欲しいとお願いしすると、家族全員が  快く「いいよ」と言ってくれた。

つくづく…私は幸せだと  感謝している。

そして、7人の生活が始まった。

  

Twitter ID  @sora Himawari123

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